転職活動

自衛隊の訓練で一番辛かったこと。【stand.fm 22.1.29配信】

KEN
皆さんこんにちは、KENです!


これまで音声配信アプリ「stand.fm」で配信をしてきましたが、都合によりアーカイブを残せなくなったため、当ブログにアーカイブを残させていただきます。


また、配信内容についても文字起こししていますのでご覧いただけると嬉しいです!

今日のテーマを選んだきっかけは自衛隊のパイロットを目指される方の質問から



先日はDOCさん(スタエフの配信者で自衛隊出身のパイロットの先輩の方)と一緒に自衛隊航空学生入隊案内ライブをさせていただきました。

2時間以上のライブになってしまって、長時間お付き合い頂いたDOCさん、本当にありがとうございました!

また、昨日は遅い時間まで聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

さて、昨日はフォロワーのまきさんが以前航空学生、自衛隊のパイロットに関する質問をたくさん頂いて、それを元にお話ししていったんですが、

ふと目に止まった質問があって、それは

「訓練生活で一番辛かったことはなんですか」


今日はこれについてお話ししていきたいと思います。

KEN
『きつかったこと、辛かったこと』と考えると、たくさんありすぎて選べませんが...(^^;)


みなさんは自衛隊だから、厳しい規律にがんじがらめ、教官から怒鳴られたり、いわゆる『愛の鞭』をもらったり、あるいは最初の体力的な鍛練行事が辛いと思うのではないでしょうか。

僕はそんなことよりも、

『とても仲の良かったバディがエリミネート、フェイルになったこと』でした。

バディって、みなさん知っていますか?

『海猿』っていう映画はご存知でしょうか。俳優の伊藤英明が出演した海上保安庁を舞台にした映画。



そこでもバディという言葉が出てきましたが、

バディというのは2人1組になって、切磋琢磨して協力して訓練する制度です。

海上自衛隊の飛行訓練でもこのバディ制度がありました。

僕のバディは航空学生の生活の中で一番仲の良かった人でY君と言います。

Y君は本当に優秀な人でした。

九州出身なんですが、県で12を誇る有名高校出身で、頭が良くて、陸上部で足がめちゃくちゃ早くて、入隊してすぐ体力測定一級で胸に体力徽章をつけて正確も凄く良くて、優しい!!

文武両道な男でした。

その一方で僕は、今ひとつな訓練生でした。

KEN
今思い返すとイケてない訓練生でしたね。。



勉強も中の下くらい、運動も全くと言って良いほどできませんでした。


いつも居残りで訓練やってたり、体力測定も級外、土日も外出禁止で走ったり腕立て伏せの日々でした。

そんな僕を見てY君は

『ケン、頑張れ!!』





っていつも声かけてくれていました。


持久走の訓練もあるんですが、僕は苦しそうにしながらほぼ最後尾を走っていたら、先に走り終えたY君が戻ってきてくれって自分の前を走ってくれて、

『ケン、ラストやぞ!!ファイト!!』




と応援してくれて、自分は顔くちゃくちゃにして走っていた思い出がありました。

懸垂もできなくて、いつもY君にフォームのアドバイスもらったり、いつも苦しい時は側でサポートしてくれたことを覚えています。

そして始まった航空学生3年目の飛行訓練。


この凸凹コンビがバディを組んだわけで、この延長戦になるのかな〜。。

KEN
自分が足でまといになるんじゃないかな。。


という気持ちが先行して、そちらのほうが不安でした。

しかし、予想だににしていないことが起きたんです。

Y君は上空では極度の緊張で思考が止まってしまう、という傾向があったんですよね。

飛行訓練は左席に学生で、教官が右席、後ろの席にバディの片方が座って訓練するのですが、流れとしては彼が左席について僕が後ろについて、教官からの指摘をメモしてフライトが終わった後、バディ同士でそのメモをもとに反省するというスタンスで行われます。


私が後席から彼を見ていると、明らかに緊張して手順が出てこなかったり、ATCも緊張で聴き逃したりというシーンが頻繁にありました。

僕はというと、もちろん緊張はあったし出来は良い方ではなかったのです、まだ少し余裕がありました。

ここは彼にこれまでの恩返しをしなければ!と思って、ずっと休みも付きっきりで手順の確認したり、イメトレ付き合ったり、タッチアンドゴーなどのの訓練内容のレビューの何度もしました。


しかしながら、彼は残念なことに2ヶ月後にフェイルになってしまいました。


その日の夜、部屋に戻ったらY君は涙を堪えてうつむいていたんです。

そして涙を堪えて自分に『ここまでサポートしてくれのにごめん、俺の分まで頑張って夢を叶えてな!』と言いました。


私は気が弱くて泣き虫なので、Y君以上に泣いてしまったことを覚えています。


これが、航空学生の訓練で一番辛かったことです。

正直、教官から罵声を浴びせられたり、手や足を出されたり、持久走で吐くまで走らされたりするのは自分が苦しいだけで済む話で自分が努力不足だけの話なのですが、バディをはじめ、同期は自分の家族のような存在だったので、心の支えがいなくなることほど辛いことはありませんでした。

そんな経験があったので、Y君からもらった言葉を胸に訓練を乗り越えて夢を叶えようと思ったし、本当に自分は運動できなかったんですが、それ以降Y君がそばにいなくても持久走などの訓練や競技では自分が走る目の前にはY君が『ケン、いいぞ!!ラストやー!!』という姿を思い浮かべて突っ走ってきました。

当時Y君が胸につけていた体力徽章も、私が退職する寸前に体力測定1級を取得してその体力徽章を付けて退官しました。

自衛隊をやめた今でも、コロナ前はマラソン大会にも積極的に出ていたんですが、そのような時も彼はそばにいて一緒に走ってくれるんですよね。

なんかこんなこと言っているとY君が他界したような表現になってしまいますが(笑)

このY君は今何をしているか、というと....

自衛隊に残って、フライトエンジニア(FE)の教官となって海自の哨戒機P−3Cに乗って南西諸島の海上防衛の一端を担っています。

KEN
彼も同じ空をバリバリと飛んでいるんです。


最新鋭のP-1に今頃機種移行しているかもしれません。



今日はそんな僕のエピソードについてご紹介しました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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■エアラインパイロット
【経歴】大学中退▶︎自衛隊▶︎国内航空会社
【趣味】筋トレ(2022BBJ準グランプリ,3位)
【メディア】自衛隊情報誌MAMOR掲載
■唯一無二の空飛ぶマッチョのライフスタイル
■パイロットのメンタル&フィジカルのベストコンディション作りの発信

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