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自衛隊の訓練で一番辛かったこと【パイロット訓練】

僕は前職の自衛隊パイロット時代にとても辛い経験をしました。

今回はそのエピソードについてお話しします。

この記事はこんな方におすすめ

  • これから自衛隊パイロットを目指す方
  • 自衛隊の飛行訓練について気になる方
  • パイロットに必要なこととは何か知りたい方

きっかけは自衛隊のパイロットを目指される方の質問から

以前、私のフォロワーさんからこのような質問を受けました。

「訓練生活で一番辛かったことはなんですか」


KEN
『きつかったこと、辛かったこと』と考えると、たくさんありすぎて選べませんが...(^^;)


自衛隊の生活をイメージすると厳しい規律にがんじがらめ、教官から怒鳴られたり、いわゆる『愛の鞭』をもらったり、あるいは最初の体力的な鍛練行事が辛いとみなさんは思うのではないでしょうか。

僕はそんなことよりも、もっと辛いことがありました。

それは

『とても仲の良かったバディがエリミネート、フェイルになったこと』


でした。

みなさん、『バディ』という言葉を知っていますか?

『海猿』っていう映画はご存知でしょうか。俳優の伊藤英明が出演した海上保安庁を舞台にした映画。



そこでもバディという言葉が出てきましたが、

バディというのは2人1組になって、切磋琢磨して協力して訓練する制度です。

海上自衛隊の飛行訓練でもこのバディ制度がありました。

僕のバディは航空学生の生活の中で一番仲の良かった同期でY君と言います。

Y君は本当に優秀な人でした。

九州出身の有名進学高校出身で、頭が良くて、陸上部で足がめちゃくちゃ早くて、入隊してすぐ体力測定一級で胸に体力徽章をつけて正確も凄く良くて、おまけに優しい!!

文武両道な男でした。

その一方で僕は、今ひとつな訓練生でした。

KEN
今思い返すとイケてない訓練生でしたね。。



勉強も中の下くらい、運動も全くと言って良いほどできませんでした。


いつも居残りで訓練。

体力測定も級外。

土日も外出禁止を喰らって腕立て伏せの日々でした。

そんな僕を見てY君は

『ケン、頑張れ!!』





と、いつも優しく熱い声かけてくれていました。


持久走の訓練もあるんですが、僕は苦しそうにしながらほぼ最後尾を走っていたら、先に走り終えたY君が戻ってきてくれって自分の前を走ってくれて、

『ケン、ラストやぞ!!ファイト!!』




と応援してくれて、自分は顔くちゃくちゃにして走っていた思い出がありました。

懸垂もできなくて、いつもY君にフォームのアドバイスもらったり、いつも苦しい時は側でサポートしてくれたことを覚えています。

そして始まった航空学生3年目の飛行訓練。


なんと、教官の指示でこの凸凹コンビがバディを組むことに。

KEN
また自分が足でまといになるんじゃないかな。。


という気持ちが先行して、不安でいっぱいでした。

しかし、予想だににしていないことが起きたんです。

いつも優秀なY君は上空では極度の緊張で思考が止まってしまう、という傾向があったんですよね。

飛行訓練は左席に学生で、教官が右席、後ろの席にバディの片方が座って訓練するのですが、流れとしては彼が左席について僕が後ろについて、教官からの指摘をメモしてフライトが終わった後、バディ同士でそのメモをもとに技量向上を図るというスタンスで行われます。


私が後席から彼を見ていると、明らかに緊張して手順が出てこなかったり、ATCも緊張で聴き逃したりというシーンが頻繁にありました。

僕はというと、もちろん緊張はあったし出来は良い方ではなかったのです、まだ少し余裕がありました。

ここは彼にこれまでの恩返しをしなければ!と思って、ずっと休みも付きっきりで手順の確認したり、イメトレ付き合ったり、タッチアンドゴーなどのの訓練内容のレビューの何度もしました。


しかしながら、彼は残念なことに2ヶ月後にフェイルになってしまいました。


その日の夜、部屋に戻ったらY君は涙を堪えてうつむいていたんです。

そして涙を堪えて自分に『ここまでサポートしてくれのにごめん、俺の分まで頑張って夢を叶えてな!』と言ってくれたんです。


私は気が弱くて泣き虫なので、Y君以上に泣いてしまったことを覚えています。


これが、航空学生の訓練で一番辛かったことです。

正直、教官から罵声を浴びせられたり、手や足を出されたり、持久走で吐くまで走らされたりするのは自分が苦しいだけで済む話で自分が努力不足だけの話なのですが、バディをはじめ、同期は自分の家族のような存在だったので、心の支えがいなくなることほど辛いことはありませんでした。

そんな経験があったので、Y君からもらった言葉を胸に訓練を乗り越えて夢を叶えようと思ったし、それまで運動できなかった私でしたが、それ以降Y君がそばにいなくても持久走などの訓練や競技では自分が走る目の前にはY君が『ケン、いいぞ!!ラストやー!!』という姿を思い浮かべて突っ走ってきました。

当時Y君が胸につけていた体力徽章も、私が退職する寸前に体力測定1級を取得してその体力徽章を付けて退官しました。

自衛隊をやめた今でも自主的にジョギングを定期的に実践していますが、そのような時も彼はそばにいて一緒に走ってくれるような気がします。

なんかこんなこと言っているとY君が他界したような表現になってしまいますが(笑)

このY君は今何をしているか、というと....

自衛隊に残って、フライトエンジニア(FE)の教官となって海自の哨戒機P−3Cに乗って南西諸島の海上防衛の一端を担っています。

KEN
彼も同じ空をバリバリと飛んでいるんです。


最新鋭のP-1に今頃機種移行しているかもしれません。



今日はそんな僕のエピソードについてご紹介しました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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KEN

■エアラインパイロット
【経歴】大学中退▶︎自衛隊▶︎国内航空会社
【趣味】筋トレ(2022BBJ準グランプリ,3位)
【メディア】自衛隊情報誌MAMOR掲載
■唯一無二の空飛ぶマッチョのライフスタイル
■パイロットのメンタル&フィジカルのベストコンディション作りの発信

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